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大阪高等裁判所 昭和29年(ラ)104号 決定

抗告人 大阪市南区長 長野幸利

相手方 杉本清子

主文

本件抗告は棄却する。

理由

抗告人は「原審判を取り消す。本件相手方の申立は却下する。」との裁判を求めた。その抗告理由は別紙記載のとおりである。

抗告人の右主張の要旨は「元内地人であつた者でも平和条約の発効前に台湾人との婚姻によつて内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じた者は、現実に台湾の戸籍に入籍したかどうかを問わず、台湾人として条約発効とともに日本の国籍を喪失するものと解するのが相当である。相手方は昭和二三年五月一五日台湾人蔡との婚姻届を大阪市北区長に提出し、その受理によつて右婚姻は法律上成立し内地の戸籍から除籍された者である。(ただ右届出は事実上台湾に送付できなかつたため夫の戸籍に登載する手続が未了になつているに過ぎない)から、平和条約の発効とともに相手方は日本の国籍を失つたものである。市(区)町村長は戸籍の届出が法令に違反しないことを認めた後でなければこれを受理することができない。外国人等のごとく戸籍に記載すべきでない者についての就籍の届出は受理できない。相手方は日本の国籍を有せずこのことは戸籍面上明らかである。従つて抗告人が本件就籍の届出を受理しないのは当然である。就籍許可の審判は抗告人に対し相手方が日本人であることを認めなければならない法律上の拘束力を有するものとは考えない」というにある。

しかしながら、市(区)町村長は戸籍法上の届出の受理、不受理を決するに当つては、その届出が民法、戸籍法等に規定する法定要件を具備するかどうかを審査し、届出に添附書類を要する場合には、届出事項が添附書類の記載と一致するかどうかを審査する、いわゆる形式的審査権限を有するにとどまり、届出が届出人の真意に出たものかどうか、届出事項が事実に一致するかどうか、添附書類の記載が真実に合致するかどうかの実質的審査権限を有するものではなく、形式上適法な届出は必ずこれを受理する外はなく、これについて不受理処分をなすことは許されない。このことは戸籍法を通じて明らかなことである。戸籍の記載は身分関係の公証を目的とするから、それが適法であるばかりでなく、真実に合致することを理想とする。けれども実質上の判断を市(区)町村長に委ねることは機構上適当ではないし、また事実上不能でもあるから、実質的審査は市(区)町村長の権限と責任の範囲外に置き、その審査は裁判機関に行わせる途を開いているのである。

本件についてみるに、市(区)町村長は就籍の届出があつたときは、届書の記載が戸籍法第一一〇条第二項の法定要件を具備するかどうか、添附された許可の審判書の謄本の記載に届出事項が一致するかどうかを審査しなければならないが、審判に示された事実の認定が真実に合致するかどうか、その法律上の判断が正当であるかどうかを調査検討し、もつて審判の不当を理由に就籍の届出を不受理にすることは許されない。このことは市(区)町村長に実質的審査権限のないことの当然の帰結であるが、なお少しく説明を加えよう。就籍は日本人であつて戸籍に記載のないものについてその記載をする手続であり、事の性質上届出事項の真実を担保させるため、法は裁判機関の関与を必須要件としているのである(戸籍法第一一〇条、第一一一条)。就籍の許可審判は事件本人が日本人として戸籍に記載さるべきものであるかどうか、すでに戸籍に記載されていないかどうかの点について事実上及び法律上の調査判断の結果なされるものである。本件許可の審判事件の記録(大阪家庭裁判所昭和二八年(家)第一、三四五号)によれば同裁判所は必要な事実上の調査をした結果、慎重な判断のもとに、許可の結論を出したことが認められる。相手方が果して台湾人か、日本人であるかは、単なる自然的事実ではなく、困難な法律問題の解決を通じて得られる認識であつて、抗告人の見解に従えば相手方は日本の国籍を喪失した台湾人であり、原決定の論証を是とすれば日本人であつて本籍を有しない者ということになるのである。この相異なる意見のいずれが是か非かの点はしばらく措く。たとえ抗告人の右意見が正しいにせよ、本件許可審判によつて、相手方は就籍の届出義務を負うていることの有権的な判断が与えられたのであり、抗告人の意見によつて、その許可審判の判断の有権性を否定すべくもない。就籍の届出には、届出期間及びその懈怠に対し過料の制裁を法が定めているし、本来戸籍に記載さるべき者は就籍の手続をすべき義務を負うべきものというべきであるから、就籍の届出は、届出によつて身分干係の得喪変更を生ずる創設的届出ではなく、既成の事実または身分関係についての報告的届出の性質を有するものであり、審判もしくは判決された事項について、事後的に戸籍記載のため届出がなされるものである。市(区)町村長がその届出の受理を拒否したとて既成の事実または法律関係が否定される道理はなく、市(区)町村長は、適式な就籍の届出は、これを受理する外はないのである。抗告人は相手方は日本の国籍を喪失した台湾人であり、このことは戸籍面上明らかだという。しかし戸籍面上明らかなことは相手方が「蔡馬為と婚姻、夫の氏を称する旨の届出、昭和二三年五月一五日大阪市北区長受付、同年六月九日送付、中華民国台湾省台中県大甲区梧楼鎮六〇五号に新戸籍編製につき除籍」されたということだけである。相手方が日本の国籍を喪失したというのは、平和条約の発効とともにそう解するのが相当であるという、抗告人の法律上の意見であつて、戸籍面の記載ではない。従つて本件届出は戸籍の記載と符合しないということはないのである。以上要するに市(区)町村長は就籍許可の審判の当否を実質的に審査する権限はないものであつて、これと反対の見解に立つ抗告人の主張は採用できない。なお抗告人等戸籍事務担当者は中央所管庁の通達回答を尊重し、これに一応拘束される立場にあるが、管轄権のない裁判所がした許可でも、これに基く訂正申請は受理を拒むべきでないとする大正九年六月二六日司法省民事局長回答第二一五六号、確定判決による戸籍訂正の手続によるべき場合に、家庭裁判所が戸籍訂正の許可を与えたときも、その許可に基く訂正申請は受理する外はないとする昭和二三年一〇月一一日法務府民事局長回答民事甲第三〇九七号、すでに死亡した者については就籍は許さるべきものではないが、もし就籍の許可があり、利害関係人から届け出たときは、これを受理すべきであるという昭和二五年九月四日法務府民事局長回答民事甲第二四一六号がある。これらの回答によれば、市(区)町村長は、裁判の当否を問題にして、届出の受理を拒み得ないという行政解釈が確立しているといえよう。

そうすると、以上と同趣旨によつて、抗告人は相手方の就籍届出を受理しなければならないとした原決定は相当であつて、本件抗告は理由がないから、主文のとおり決定する。

(裁判長判事 藤田弥太郎 判事 神戸敬太郎 判事 平峯隆)

抗告理由

一、平和条約の発効に伴い、台湾が日本領土から分離される結果いわゆる台湾人とよばれる一定範囲の者が日本国籍を喪失するということに関しては平和条約の合理的解釈上異論を見ないであろう。

然し、同条約及びこれに基く日華平和条約にはその範囲を明確にした条項を発見することはできない。従つて右の範囲のうちに固有の台湾人が日本国籍を喪失することは明らかであるが、これら固有の台湾人の婚姻その他の身分行為に基いて台湾戸籍に入籍した元内地人も又右の範囲に含まれると解すべきであることについては多少の説明を要すると考えられる。従来、台湾人の妻となつて内地人女子は共通法により婚姻によつて内地の戸籍から除籍されて内地人たる身分を失い台湾人たる身分を取得するものとされ、一般の台湾人と全く同一の地位を与えられていたのである。

原審判は台湾の日本国領土分離に際し台湾人という種族ないし民族を標準として国籍を変更する主義を採用したことは明らかであると述べているが、種族又は民族とは如何なる範囲をいうか必ずしも明確でなく、純粋の血統主義によることが果して可能であるか疑わしい。血統主義をとれば内地人の妻となつた固有の台湾人及びその子孫は平和条約の発効により中国国籍を取得し、反対に固有の台湾人の妻となつた元内地人女子は平和条約発効後は夫と国籍を異にする甚だ妥当ならざる結果となると思われる。そこで従前内地人たる身分と台湾人たる身分と截然区別して取り扱つていた法律制度を前提として、元台湾人であつた者でも条約の発効前に内地人との婚姻によつて内地の戸籍に入籍すべき事由の生じたものは内地人として引き続き日本の国籍を保有するが、反対に元内地人であつた者でも条約の発効前に台湾人との婚姻によつて内地の戸籍から除籍せらるべき事由の生じたものは台湾人として条約発効とともに日本の国籍を喪失するものと解するのが相当である。ところで本件相手方の国籍に関し、原審判の説示するところを見ると相手方は台湾の夫の戸籍に現に入籍していないが故に日本国籍を喪失していないと論断しているものの如くである。したがつてまず相手方は平和条約の発効前既に台湾人男と適法に婚姻したにもかかわらず何故に現実に台湾戸籍に入籍していないかを説明するのが便宜である。相手方は、昭和二十三年五月十五日台湾人蔡との婚姻届を大阪市北区長に提出し、その受理によつて右婚姻は法律上成立したのである。ただ右届書は事実上台湾に送付できなかつたため、夫の戸籍に登載するという手続のみが未了となつている状況にある。

換言すれば相手方と台湾人男との本件婚姻は相手方が台湾の夫の籍に入籍する戸籍技術上の手続が完了したか否かにかかわらず有効であることは勿論である。従つて、中国国籍法第二条第一号の規定により、外国人と婚姻した場合、同女は中国国籍を取得するのであるから相手方もまた右婚姻によつて有効に中国国籍を取得しているといわざるを得ない。なんとなれば外国人女の婚姻による同国国籍の取得は婚姻そのものが実質的要件であつて同国戸籍に入籍されたと否とは問わないからである。

この点については既に同国司法院の有権的解釈が示されている。(民国二十三年司法院字第一、一一一号参照)したがつて仮に相手方が同国内政部に対し婚姻による国籍取得の手続をしなかつたとしても右手続は国籍取得に関し形成的意義を持つものではなく報告的意義を持つに過ぎないものであるから相手方が現に中国国籍を有することは疑のないところである。然るに原審判は右に反する認定の一論拠として大阪総領事の発給した相手方は現に中国国籍を有しない旨の証明書を掲げているが、右証明書を相手方の国籍を決定する資料とすることは妥当ではない。なんとなれば、相手方と同様の身分関係にある者に対し中国内政部は同国国籍法第十一条の規定に基きしばしば国籍喪失の許可証明書を発給し外国に帰化することを認めている事例があるからである。なお現行国籍法第十条の規定は、現に日本国籍を有する者が外国の国籍を取得した場合に関するものであつて条約の発効に伴い日本の国籍を喪失した相手方については適用されないことはいうまでもないので念のため申し添える。なお、相手方が日本の国籍を喪失している点に関しては、必要に応じ、原審判の法律上の誤解を指摘したい。

二、市町村長が戸籍の届出を受附けたときは、その届出が法令に違反しないことを認めた後でなければ、これを受理することができない。就籍の届出については戸籍法第百十条乃至第百十二条の規定に従う外、外国人等の如く戸籍に記載すべきでない者については就籍の届出は受理されない。なお、平和条約発行前にいわゆる朝鮮人及び台湾人等も就籍することは認められていない。(大正十一、五、十六回答三二三六号)本件相手方杉本清子(蔡清香として現に外国人登録法の適用を受け登録されている)は、前に述べた如く、日本の国籍を喪失している者であり、このことは戸籍面上明らかである。従つて本件就籍の届出(許可の審判を含め)と戸籍の記載と符合しない場合であるからこれを受理しないのは当然である。就籍許可の審判は本件抗告人に対し、相手方が日本人であることを認めなければならない法律上の拘束力を有するものとは考えない。

そうすれば、抗告人が本件届出の受理を拒んだのは届出に関する形式的審査権の範囲を越えているという原審判は誤りといわね

ならない。

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